TOPヘ
 

 


欲望が渦巻くスタジアム

フットボールの産まれた国、イングランドの首都ロンドン。
ここには世界最高峰と言われるプレミアリーグで戦う世界屈指の名門クラブ6つが乱立する。いかにこの土地でフットボールが根付いているかの証明と言えるだろう。中でもアーセナルとチェルシーはロンドンを、いや欧州を代表するビッグクラブだ。

しかし彼らは互いにこう言うだろう。「ロンドンに盟主は2つもいらない」と。
かつては低迷していた「ブルーズ」の愛称で親しまれるチェルシー。チェルシーの転機は新オーナー・ロマン・アブラモビッチの就任だった。ロシアの石油王とゆうこともあり、金にモノを言わせた補強策は「マネーゲーム」と批判されることもあるが、会長としてクラブを強化するという当然のことをしているだけだ。

今期もプレミア王者に輝き、今や完全に「ロンドン=チェルシー」の図式を作り出した。そんなチェルシーのホーム、「スタンフォード・ブリッジ」を最も沸かせたイタリア人と言えば「ジャンフランコ・ゾラ」だろう。イタリア人が、それもワールドカップに出場した経験もあるプレーヤーが国外でプレーするというのは大変珍しいことだ。しかし、「フィジカル重視」の風潮が強いイタリア式サッカーでは、テクニックの優れたゾラのようなプレーヤーが本領を発揮できるとは言い難かった。

1996年、スタンフォード・ブリッジに降り立ったゾラをチェルシーのサポーターたちは決して歓迎していたわけではなかった。フットボールの母国としてのプライドか、イングランドの人々は外国人には冷たい。「認めてもらいたいならば結果を残せ」という冷ややかな視線がゾラに向けられていた。

しかし文字通りゾラは結果を出してサポーターを認めさせた。出場2戦目で初得点を記録すると、それ以降も数々のゴールを決め、チェルシーの勝利に貢献していったのだ。中でも、彼のフリーキックは鮮やかだった。チェルシーの選手として初めてリーグMVPに輝き、クラブの年間最優秀選手にも選ばれた。2003年の夏、彼は故郷のカリアリというクラブに移籍してしまうが、7年間で80点以上の得点を挙げた。そして「よそ者」ではなく、「ジャンフランコ・ゾラ」という存在をファンに認めさせたのだ。

そうでなければ7年も彼はロンドンにいなかっただろう。今や、多国籍軍団と化したチェルシーだが、これからも数々のスターがこのクラブから出現していくだろう。スタンフォード・ブリッジは今日も新たなスターの誕生を見守っている。

『データ』
名前:Gianfranco Zola(ジャンフランコ・ゾラ)
生年月日:1966年7月5日
出身:イタリア・カリアリ
所属クラブ一覧
1984−1986 ヌオレーゼ
1986−1989 トーレス
1989−1993 ナポリ
1993−1996 パルマ
1996−2003 チェルシー
2003−2005 カリアリ
2005−現役引退


copyright 2006 © スタジアムの軌跡.com